震災6年の思い出

あの日はピコちゃんをお迎えして2年目でした。

昼の2時ごろ、珍しく私と愚兄が揃って家にいた時に

今思い出しても気味の悪い揺れがちょっとの前触れの後に大きく起こりました。

「ただの揺れじゃないぞ!?」

「ピコちゃんは大丈夫か??」

と、大の大人二人がうろたえましたが、

当のピコちゃんは写真のようにお気に入りである愚兄の手のひらで眠りこけていました。

ホントはこの写真も震災のずっと後のもので、なぜか当時オリジナルの写真が出て来ないんだけど

だいたいこんな感じで、ピコちゃんは素知らぬ風でまったり休んでいました。

後年鳥好きさんのブログなどで同じような震災時の状況を読みましたが、

鳥は元来地に足を乗せて生活する時間が少ないせいか、

地面の揺れにはそんなに関心がないのではないかという事でした。

「野生動物は地震予知能力がある」というのはすべてには当てはまらないようです。

その後数日間は夜の街道は電気の制限で街灯が消え、駅のエスカレーターが止まったり、

ニュースにはなってないけどパンや食料品、水のペットボトルの買い占めがあったり、

ガソリンスタンドでも買占めや割り込みなどがあり、非常時の人間性を垣間見たものでした。

我が家にはクルマがないのでガソリンの備蓄などは気にしませんでしたが、

お金のとアシのあるものが早い者勝ちでどんどん物資を買いあさってゆき、

私のもう一人の兄もガソリンスタンドの長い列で割り込みに会いそうになって険悪な体験をしてます。

『一人1個まで』とされた食パンをたくさん買い込んでゴネる年寄りも見ました。

マスコミが言うような『混乱もなく整然と物資を分け合ってた』という光景は、余裕のある地域ではかなりウソッパチでした。

そんな光景を見ている間にも緊急地震速報の音に怯え、

余震の時にピコちゃんのケージを抱えてうろたえるという醜態をさらしたりして

なんとなく切り抜けた感のある震災体験でした。

当時我が家にはテレビがなかったため、映像としての大震災は全く経験していません。

そのため、その後の被災地の状況などを見てもどこか切迫感がありません。

(異常に繰り返されたACジャパンのCMは知ってますが)。

津波の心配のない地域に住んでいるせいもあるのかも知れません。

(あるいは発達障害のせいで共感性が欠如しているのかも知れない)。

6年経って記憶の風化が叫ばれている現在ですが、いい加減何かに備えるべきです。

おとんの事もあるし、今とその先をよく考えた人生を作らねばなりません。

東日本大震災に見舞われた方々にお悔やみを申し上げます。残された方々に少しでも幸せが訪れますように。そして卑劣な差別者に鉄槌を!

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