和田誠『もう一度 倫敦巴里』ナナロク社 2017年1月刊

昨日読み終った本。

和田誠『もう一度 倫敦巴里』ナナロク社 2017年1月刊。

http://bookmeter.com/b/4904292715

https://www.amazon.co.jp/dp/4904292715

http://www.nanarokusha.com/book/2016/12/29/4096.html

和田誠、1977年初版の伝説的名著『倫敦巴里』が、未収録作を加え、『もう一度 倫敦巴里』としてついに復活! 

川端康成の『雪国』を、もし植草甚一が、野坂昭如が、星新一が、長新太が、横溝正史が書いたとしたら。(『雪国』文体模写シリーズ)

イソップの寓話「兎と亀」をテーマに、もし黒澤明が、山田洋次が、フェリーニが、ヒッチコックが、ゴダールが映画を作ったとしたら。(「兎と亀」シリーズ)

ダリ、ゴッホピカソシャガールのらくろ、ニャロメ、鉄人28号星の王子さまねじ式、007、「雪国」……数々の名作が、とんでもないことに!? 

谷川俊太郎丸谷才一清水ミチコ堀部篤史(誠光社)の書き下ろしエッセイを収録した特製小冊子付。(※丸谷才一さんのエッセイのみ、再録となります)

※本書は、1977年8月、話の特集より刊行された『倫敦巴里』に新たに「『雪国』海外篇」「雪国・70年2月号・72年11月号・73年12月号・75年2月号・77年2月号のつづき」を加え、再編集したものです。著者監修のもと、原画がカラーで描かれていた作品は、カラーで掲載しています。

和田 誠(わだ・まこと)

1936年生まれ。グラフィックデザイナー、イラストレーター。1959年多摩美術大学卒業、ライトパブリシティに入社、1968年よりフリー。1965年雑誌「話の特集」にADとして参加。1968年から4年数カ月「週刊サンケイ」の表紙に似顔絵を描く(AD田中一光)。1977年より「週刊文春」の表紙(絵とデザイン)を担当し、現在に至る。出版した書籍は200冊を超える。1974年講談社出版文化賞(ブックデザイン部門)、1993年講談社エッセイ賞、1994年菊池寛賞、1997年毎日デザイン賞など受賞多数。」

初版『倫敦巴里』話の特集 1977年8月刊に、『話の特集』1990年12月号と『本の雑誌』2001年1月号に掲載された『雪国』シリーズ十一篇を加え再編集した増補版。

初出紙誌は他に『報知新聞』『オール讀物』『小説現代』。

「原画がカラーで描かれていた作品はカラーで掲載」。

1936年生まれのグラフィックデザイナー・イラストレーター、和田誠さんは雑誌『話の特集』創刊(1966年2月号 1965年12月刊)にアートディレクターとして参加(当時ライトパブリシティに勤務)、1966年3月号「殺しの手帖」他を発表。

1955年生まれの私には分からない題材も登場しますけど、三十代だった和田誠さんの面白がりようがとても楽しい作品集です。

1973年、明治大学文学部に入学した私は、毎日、和泉校舎図書館で『キネマ旬報』を読んでいました。

キネ旬編集長白井佳夫さん(1932- )は当時「連載バカボン」を自称されていて、魅力的な連載をいくつも読ませてくれましたが、そのひとつが和田誠 「お楽しみはこれからだ 映画の名セリフ」であり、竹中労「日本映画縦断」でした。

古本屋でキネ旬バックナンバーを物色していて、竹中労さん(1928-1991)が「メモ沖縄」を連載している『話の特集』を見つけ、読んでみると、後に『倫敦巴里』にまとめられる和田誠さんの愉快な作品が掲載されていました。

四十年以上前に買い集めた古雑誌をどう処分してしまったのか憶えていないのが残念です。同じ頃に買った古本は今でも我が家の本棚に残っているのに…。

「これは あなたの手帖です

いろいろのことが ここには書きつけてある

この中の どれか 一つ二つは

すぐ今日 あなたの殺しに役立ち

せめて どれか もう一つ二つは

すぐには役に立たないように見えても

やがて こころの底ふかく沈んで

いつか あなたの殺し方を変えてしまう

そんなふうな

これは あなたの殺しの手帖です」

p.6 殺しの手帖 『話の特集』1966年3月号

もう五十年ぐらい前、小学生の頃から、母の本棚に並んでいる『暮しの手帖』を読む(眺める)のが好きでした。

読書メーター 和田誠の本棚

http://bookmeter.com/u/32140/cat/12155

の登録冊数は79冊です。刊行年順に並べています。

ご笑覧いただけましたら幸甚と存じます。