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『プロファイル』

親愛なる皆さん、おはようございます。

さつき雲奏です。

【打ち解けて、仲良しになること】

自分探しのキーワード。

今回の作品はこの証明です。

この世界は心の概念の世界。

陰陽の振り子が揺れる世界。

その陰には一定のルールが存在する。

この世界はこうだ!

その様に調子に乗った者には、例外なく自然崩壊が作動する。

“一見”無秩序なるこの自由概念空間。

その背景の裏には、

幾何学的秩序】が完璧に機能する事実を意味する。

人間が原子力を完璧に制御出来ないように、

身の丈を超えるものは、暴走を管理出来ない。

つまりそれは、人間に身の丈を超える力が眠ることを意味する。

幾何学的秩序。

シンプルに説明すれば、暴走を制御する半物質的法則。

『その空間内では、必ず出る杭を打つシステム。』

現時点において理論的、実感的にそうなります。

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『充(あ)て』が『実る』と書いて『充実』。

『充て』は『宛』。

『ずつ』『おん』ともいいます。

少しずつ自分なりの覚悟で御礼を磨く。

生きる充実と同じくらい、心の卑しさと向き合う。

心からのありがとうを磨く。

それが自分の魂の宛先。

急いだ時、過ぎた時、

『宛』は時に『怨』にもなります。

『宛』を『御』へと磨くなら、

自然とその空間の礼儀を磨くもの。

僕のようなわからず屋は、自分の人生で思い知るのです。

しかし、

【礼儀でさえも、過ぎた礼儀は無礼に劣る。】

言霊は歴史の闇を静かに語ります。

この作品はフィクションであり、僕は人と言語を愛する只の自称数学者です。

興味深い方は、引続きお楽しみ下さい。

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僕は昔から小手先の技術を嫌います。

小手先の技術を嫌うからこそ、

小手先の現実も数多く歩んできました。

物事の学びは両極を経験するからこそ、

深い融和が宿る。

融和とは、打ち解けて仲良くなること。

友達、仲良し。

例え現実に溺れ、どんなに自己を見失おうとも、

打ち解ける過程が必要であることを魂のレベルで理解している。

時には警戒し、距離を測り、心を閉ざす。

至極自然なことだと思います。

相手を敬う。

相手を侮る。

心の尊さ。

心の卑しさ。

どちらも本当の自分。

その両者の鍵を握る一つの諺のヒント。

【過ぎたるは猶及ばざるが如し】

これはどちらも同じ結果という表現意図ではありません。

一見同じ原因追求でも、過ぎた部分にフォーカスする方が優るというメッセージです。

例えば臆病。

勇気が足りないから臆病ではありません。

慎重過ぎるから臆病なのだと言っています。

モータースポーツの最も難しい技術がブレーキング技術であるように、

最終的に求める終わりへの最効率を生むのは、加速力ではなく適切な制動力。

物事の一番困難なものは、抑制すること。

この認識を逆に捉えれば、

人間の真実。

歴史の真実。

そして現実と非現実の真実。

ほぼ全ての真実を語る根幹は、ある一つのキーワードを用いることで一般常識と逆転する可能性が非常に高い。

『武道』は何故に『武道』と書くのか。

僕の認識に間違いがなければ、

我々の辿る答えはいずれ一つに繋がると捉えます。

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武道。

『武』を歩み辿る『道』。

この世界の存在は、あらゆる陰陽素材の繋がり。

一組の夫婦でさえも、男女でさえも、友達でさえも、言葉でさえも、

似た者同士。

矛盾者同士。

その両極の旨味を発信する。

つまり武道でさえも同じ構成、構築を意味する。

武は『止』、道は『首』を磨く道。

鏡の法則を用いれば、

『抑止力』と『一首力』。

過ぎたものを制御する力。

物事の本質を看破する力。

多くの達人は自己の生涯で曰う。

【常に自分と闘っていた】

逆に捉えれば、

自己を構築した数々の勝利と敗北の糧。

その対象には常に“ある相手”が存在していた。

ならばその相手とは・・・。

その相手の先に視える者とは・・・となります。

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ワンピースでも表現していますが、【知識とは過去】です。

繋がる『かごめかごめ』の唄の一節。

『後ろの正面だ〜あれ?』

過去のあの人の発した言葉(発信エネルギー)にフォーカスする自分。

あの発信エネルギーには“別の意図”も含まれている。

そう空海先生は唄っているのです。

凡人と達人。

一人の人間の価値としては平等ですが、

凡人と達人の違いは確実に存在します。

物事に対する謙虚さが違うのです。

凡人は相手や事象を侮る。

自分が心底凡人だと思っていないから。

だから相手や事象を上げ下げすることにフォーカスする。

達人は相手や事象を敬う。

自分が心底凡人だと思っているから。

だから相手や事象を平らにフォーカスする。

一つの情報から多角的に噛み砕く心の品と器。

武道の三と四の教え。

格が違うとは、そういう意味だと捉えます。

子供は自分と本気で向き合う大人をいずれ敬います。

大人も同じだと思います。

中途半端だから愚痴や文句が存在し、

相手を侮るんだと捉えます。

尾田栄一郎先生がワンピースの第一話でも表現しているように、

自分を侮り、罵る相手の山賊の刃に対しても、

シャンクスはその罪を憎んで人を憎まず、

過去の自己が蒔いた種として、

自己の成長を見定める糧として、

家族の繁栄を充てる導として、

その山賊の挑発行為を敢えて見逃した。

その奥に視える【過去の自分】を供養し、【未来の自分の運命】を構築することに努めた。

達人だからこそ腹の虫が常に静かです。

振る舞いや行いの深さを認識しています。

心の平安が、自己の求める繁栄に自然と繋がることを。

心の平安を掻き乱す怒りに対し、最小限の排除に徹し、刀を鞘に納めることを。

その背景には、

心の平凡と向き合う姿勢。

成長する度に、己の小ささも自覚する姿勢。

自然と大と小の使い分けに配慮する姿勢。

そんな事実を垣間見れます。

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座右の銘

誰しもが固有の落とし穴のパターンや法則が存在する証拠。

チャップリン先生と同様に、

僕は皇帝にはなりたくありません。

相手の短所も愛する世界が心地いいからです。

それでも、僕は歴史の真実を探します。

歴史に埋もれた人間の好奇心を辿ることで、

人間が実は何者であるかを知りたいからです。

僕の人生は、自己の選択とは別の何者かに誘導されている確信があります。

自分だけの力ではそれを認識できない。

第三者の鏡を通して初めて認識できる。

僕の他に十人の人が存在すれば、

10通りの僕のデータが存在するように、

歴史を顧みる行為は、その何者かを辿ることに等しい。

そこで手掛かりとなるのが、グリフ(Glyph)。

絵文字。象形文字

現在の日本語の単語一つでさえも、表現は一つではありません。

異体字という形で複数存在します。

つまり現在の日本語は省略変換されたもの。

何が省略されているのか。

背景なんです。

一人の人間への理解でもそうですが、

その人間を構築した過去の背景を理解するのとそうでないのは、与える印象がまるで違います。

辻褄が合わないから、想いを馳せることが困難だからです。

異体字の表に入力されているデータと、現行文字を照らし合わせると、ある一つの法則に気づきます。

一つの漢字部首を別の漢字に変換できるのです。

そして日本語の漢字は、ノアの方舟の真意に繋がる古代北イスラエル王国と南ユダ王国の叡智の結晶。

その結晶は歴史背景の真実を語る。

つまりこの認識を応用すれば、

古来文字の解読に繋がり、

その事象自体の【背景の解読】に繋がります。

まだまだ未熟ですが、例えば『日』という漢字。

おそらくこの漢字は『口』という漢字の中に『人』という漢字が省略変換されています。

つまり『一』という漢字、若しくは横棒線ですらも、人の省略である可能性が高い。

そしてこれら漢字の部首を次々に変換省略していく。

それは過去に遡ることを意味する。

先人が残したメッセージに辿ることを意味する。

するとある特定のメッセージにぶつかります。

その一つが【月】。

もう一つが【予】。

もう一つが【公】。

月は子、予は夜、公は無。

子に還り、夜に還り、無に還る。

本当の孤独への到達。

それを弊害する心の卑しさとの闘いの果て。

必然と原因は存在する。

宇宙と人間は繋がっている。

宇宙とは自然摂理法則。

ある一定のルールの存在を意味する。

それは礼儀の研鑽。

ある一定の礼儀さえ弁(わきま)えれば、後は自由奔放。

一筋縄ではありませんが、融通無碍です。

ならば人を学ぶ道も【礼儀の研鑽】。

そういう意味では、

人の一日の歩みとは、

【行い】と【御礼】の繰り返しであり、

【無礼】と【慇懃(いんぎん)】の繰り返し。

慇懃とは、穏やかな物腰と礼儀。親しい交わり。

マコトの友情や仲間とは、マコトの軽蔑の先に存在する。

マコトの孤独の先に存在する。

マコトの公言の先に存在する。

だから人生は面白い。

思い通りに行かないから面白い。

其処に資質や才能は存在しないはずです。

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先日買い物で、ある親子を見かけました。

30歳前後の母親と4歳前後の女の子です。

『ママ買って〜!』

少し困った表情。

なだめつつ、次第に無視する母親。

そして置いてきぼりの女の子。

それをさりげなく観察する僕。

心を刺激されます。

ハイ、気持ち悪いですよね(笑)

すると女の子は大きな声で泣き喚きます。

それでも敢えて無視する母親。

促す子供への愛情が伺えます。

それでも泣き喚く女の子。

(互いの我慢比べだね。しかし・・・。)

最初に困った表情。

それは周囲への世間体と今までの過去の葛藤、求める最善への模索を意味する。

次第に世間体と良心が痛む母親に対し、

床の上に寝転がり、身体を張ってなりふり構わずの願望を表現する女の子。

実現に対する覚悟が違う!

勝負になるはずがない。

昔の僕もその手を使ったし・・・(笑)

そして観念した母親が『もう〜。一つだけだよ!』と言う。

その瞬間にピタッと泣き止む女の子。

僕としてはここが恐ろしい。

勝負の際をキチンと理解している。

帰路の際に改めて思った。

あの女の子は数学の資質と行動力が高い。

願望実現の為に何が障害なのか、何を抑えればいいのか、具体的に何を攻略すればいいのかをキチンと理解している。

求める非現実と現実を一本の線で繋ぐ。

障害は、現状維持では実現しない現実。

抑えるのは『いい子を演じる自分』。

外すのは普段の演技。

根拠は本能と今までの経験。

つまりこの女の子の概念は“すでにそれを未来で買っている自分”が強烈に存在する。

その強烈な信念が女の子の行動に魂を吹き込む。

攻略する矛先は、母親の世間体とプライド。

そして子供を侮る心。

あまりの的確さと手順に寒気がする(笑)

将棋で例えれば、『あと〇手で詰みです!』を宣言している行為に等しい。

そして母親の許可を貰った瞬間の泣き止むタイミング。

何一つ無駄が存在しない。

子供の概念、恐るべしである。

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考察に入ります。

この件においても改めて確信する。

子供は大人の概念を見抜いている。

無意識か意識的に見抜いている。

更に正確に表現すれば、

人間は相手に心底侮られた瞬間、相手を心底敬った瞬間に相手の概念を見抜く力がある。

そして真意を見抜かれた方が、互いの支配する空間概念に無意識に相互支配誘導される。

そして両者が対等に敬っているとき、

その互いの支配する空間創造は更に加速する。

もちろんその逆も然り。

これは法則であり、この事実を漫画家の鳥山明先生がドラゴンボールで表現している。

今回の件においてもそう。

女の子の概念が起因となっている。

母親に悪気はないが、子供を大人よりも下であるという概念もそうさせている。

無意識に相手を見下す心。

だから子供も鏡の如く、相手を無意識に見下す。

真実はお互いにお見通しであると認識している。

その主導権が時としてお互いに入れ替わっているだけ。

この一件の真実。

この女の子もまた、未来の自分を構築している。

同じ母親の立場になったとき、

その過程や結果が実の母親の真意に導く。

家族一人一人の愛情概念に対する尊敬への振る舞いや本音が、

あるがまま自己の現実を構築することに気づくだろう。

そしてこの一件にフォーカスした僕の真実。

偶然ではありません。

それは僕へのメッセージ。

未来の子孫達が認識する家族を心から侮った時、

過ぎた人間の力は心の赴くまま暴走する。

その暴走に歯止めをかける何かが、

幾何学的秩序の下に自然誘導発動する。

おそらくこのシステムを考えた人は天才数学者です。

各々の家族の相互扶助が自然繁栄をもたらす仕組みに次第に誘導するシステム。

僕は改めて宣言します。

僕は全く新しいジャンルでのプロの作家になります。

貴方様の求める幸に繋がればと、

想いを馳せて贈ります。

最後までのお付き合いに感謝します。

ありがとうございました。

ーさつき雲奏ー