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ユダヤ31〜宗教改革とユダヤ人

●西方キリスト教宗教改革ユダヤ

 ヨーロッパ文明の近代化は、ルネサンスに始まり、宗教改革から市民革命の時代に進展した。ユダヤ人はその時代に差別と迫害を受けながらも、経済的能力を発揮することによって、社会的な地位を徐々に高めていった。

 この時代に、まずユダヤ人の運命を大きく左右したのは、1517年にマルティン・ルターが始めた宗教改革だった。ルターは、カトリック教会の腐敗・堕落を批判する一方で、ユダヤ人について、「彼らの財産を没収し、この有害で毒気のある蛆虫どもを強制労働に駆り出し、額に汗して自分の食べるパンを稼ぎ出させるべきだ。そして最終的には永遠に追放すべきだ」と説いた。ユダヤ教からキリスト教に摂取された排除の論理が、ユダヤ人に向けられたのである。

 ルターは過激な言葉でユダヤ人を非難し、新約聖書のなかに存在する善と悪、キリストと反キリストの対立において、ユダヤ人は悪と反キリストの側に立つ者であり、抹殺されて然るべきと決めつけた。ルターは、キリスト教徒にユダヤ人に対する憎しみを植え付けるとともに、ドイツ各地からユダヤ人を排除することを支持した。ルターの影響は大きく、宗教改革キリスト教聖職者の反ユダヤ教的な態度を一層強化する結果となった。

 プロテスタンティズムの中には、反ユダヤ主義的なルター派と、親ユダヤ主義的なカルヴァン派がある。ルターと違って、カルヴァンユダヤ人に対して好意的だった。その理由の一つは、カルヴァンが利子を取って金を貸すことに賛成だったことである。彼は著書の中でユダヤ人の主張を客観的に伝えようとした。そのため、ルター派からは、彼がユダヤ教化しているという批判を受けた。この批判は当たっている。カルヴァン派は信仰の合理化、金銭利欲の肯定、現世志向を主な特徴とし、ユダヤ教と共通する特徴を持つ。カルヴァン派プロテスタンティズム諸派は、キリスト教の再ユダヤ教化を進めるものとなった。

 ルターとは別に、16世紀以降、カトリック教会の側でも、ユダヤ人への差別が強化された。プロテスタンティズムに対抗する反宗教改革のために1541年に創設されたイエズス会は、ユダヤ人に改宗を強力に迫る運動を繰り広げた。こうした動きは、反宗教改革の開始以前から現れていた。ユダヤ人を隔離する地域をゲットーというが、最初のゲットーは1516年にヴェネチアに作られている。ゲットーヴェネチア方言で鋳造所を意味する。ユダヤ人居住区がたまたま鋳造所のあるところだったことによる。ゲットーが作られたのは、修道士の説教に煽られて、ユダヤ人排斥が高まったためである。ユダヤ人隔離居住区の目的は、キリスト教住民との交流を遮断することだった。制度を運営したのは、地元ユダヤ人への支配権を持つ都市当局だった。

 1555年には、教皇パウロ4世がローマとイタリア国内の教皇領のユダヤ人をゲットー内に隔離することを命じた。この命令は、ユダヤ人に大きな打撃を与えた。ゲットーからの解放は、「自由・平等・友愛」を掲げたフランス革命の後、ナポレオンが率いる軍隊がイタリアに侵攻する時を待たねばならなかった。

 ユダヤ人は15世紀末にスペイン・ポルトガルから追放されたが、その一部はヴェネチアジェノヴァへ移って貿易を営んでいた。彼らの多くは、イタリアに移住してからキリスト教から再びユダヤ教に戻った。反宗教改革の活動によって、異端審問所の監視の目は、そうしたユダヤ人に向けられた。イタリアはもはや安住の地ではなくなり、オスマン帝国を目指すものが多数現れた。

 宗教改革と反宗教改革の嵐の中で、ユダヤ人は両方から差別・迫害を受けた。ただし、長い目で見ると、プロテスタンティズムの出現によって、ユダヤ人は多大な恩恵を受けることになった。カトリック教会の教権支配が崩れ、西方キリスト教圏は一枚岩ではなくなり、思想・信条の自由が実現されたからである。

 次回に続く。