最近の社会

教育カリキュラムにおいて、私たちの頃は大抵の常識の範囲は熟した。編み物から裁縫ピアノ演奏から音楽鑑賞。体操も野球のルールからバスケットのルール。ところが、最近それぞれが個性でいいなんて言うからなのか、何もできない人が大人になった。日本人はなんだかなぁ。。。。。。。。。。。。。。。。。。

中学校の頃には、ある程度のピアノ演奏が、中間テストや期末テストの筆記試験に加えた実技だった。三年生になると、なかなかむつかしく素敵なメロディーを熟している。どうしたのかなぁ現代の教育。

誰もがある程度のどのような事も経験しできる教養ある時代は終わったのだなぁ。

感性のない社会。それが原因かも知れない。不可解な事件が増えたことだなぁ。

それぞれの断片的な仕事さえできればいい社会に、どうやって自分の分野以外の人の心を知ることができるのだろうなぁ?子育てよりも生活よりも仕事が大切な社会。確かにお金さえあれば会社で食べて寝て旅行をして洗濯もできる社会なことだなぁ。

そのうちに、映画もドラマの作成もできなくなるだろうな。何故なら、それぞれの立場の人にそれぞれの場面の心境の伺いを立てなければならない。それらの断片が集まって、人間の社会を映像化しなければならない。まるでロボットの様な生命体を感じさせない映画やドラマが作られることだなぁ。

仕事とは何でしょう?

そのうちに人が居なくなってしまうのだなぁ。

その中で私は今でも忙しい。あちこち走り回り留守も多い。

宅急便で問題になっている居留守するような状態にはしておかない日常。あらゆることをしているから生活は忙しい。勿論インターフォンで、迷惑な訪問者は避けるのは当然の事。たった一度の人生。必要な訪問を避ける時間ももったいない。

宅急便の配達もシステム造りに勤しむ現代。

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