好感度と手練手管、夢と嘘、紙一重の深くて暗い谷間

妻がビデオに録っていたので、山崎豊子ドラマスペシャル『女の勲章』http://www.fujitv.co.jp/kunsho/plot.html第一夜を見た。山崎豊子作品としてはさほど重厚でもなく、さほど惹かれなかったが、見てるうちに昔のトレンディ・ドラマ風でそれなりに興味深くなってきた。

押したり引いたりしながらあきらめずにアタックしてくる、こういう男に女は弱いんだよな、という女性心理がよく描かれている。

いや、立場逆転してみても、男もそうかもしれないけどね。こうして絡んでこられたら、当初さほど好きと思ってなくとも、なんとなく関係して抜け出せなくなるのかもしれない。

ただ、女の生物的・歴史的・社会的な蓄積からくる習性として、一度や二度断っても男は食い下がってくるものと、うざったく思いつつも、なんとなくすべての男がそういう習性なんだ、しょーがねーな〜♪と思いこんでるようなふしはある。だから、じらすつもりはなくとも作法として一度は断る、みたいな・・・?

ところが、すべての男がそんなに押しが強くはないし、手練れ者ではないし、自己肯定感が強くもない。(特に昨今の草食系とか、「見かけ」草食系世代の先駆けである私なども)したがって、断られればすぐに真に受けて引き下がるし、しちめんどくさい恋の駆け引きなど想像もつかない。

結果的に、押したり引いたりしながらあきらめず、さりげなく粘着する、ごく一部の手練れ者が、こぼれ球女を自在に拾い集めてのドンファン的ハント率が高くなったりする。

あぶれた者は、自分よりあちらを選んだのはあちらのほうがよかったからだ、とか短絡単細胞に解釈して、しばしば嫉妬する。が、実際には、「なんとなく断ってしまった相手」と、「断ったのに絡んできて、なんとなく断りきれなくなった相手」の差でしかないケースも多い。(もちろん本当にノー・サンキューを貫きたいケースもあるが)

世の中、好き嫌いの好感度だけで事態が運ぶわけではない。おおかたの人間関係は、そこまでシンプルで健全にできてはいない。

女の場合、自分(女性側)のケースは、必ずしも全面的に好きでこうなったわけではない、という心理状況をよく理解するが、こと相手(男)側のこととなると、なんで自分よりあっちがいいの?と、短絡単細胞にやっかむ傾向が強いようだ。いくら男社会だからといって、男全般がそこまで如意成就ではない。

受け身で他者から肯定されたい承認欲求と、受け身で他者依存する責任転嫁の言い訳願望は、男女の性差や社会構造に関係なく存在する。大多数の人間は、何よりもまず自分自身がままならないのだ。

世間一般で言うモテるモテないなんて、その程度のことが多い気がする。ハントの極意は、好きにさせるテクニックではなく、一度や二度断られても、さらには断れなくさせる、・・・つまり罠に誘いこむテクニックだっりする。悪徳セールスマンの手練手管や、国家外交の権謀術数と似たようなもんだ。

こういうことは学校では教えてくれない。何十年も人生経験を積んだ後、心理学の素養があったり、作家のような人間観察の視点がある者が、やっと見えてくる部分だったりする。

しかし、キレイゴトでない部分を認識しなければ、綺麗なことも実現できないのでは?

「夢はあきらめなければ実現する」という光明思想好みのポジティブ・フレーズもすっかり定着したが、これは「嘘も百回言えば真実となる」というナチスプロパガンダと表裏であるように思う。

夢と嘘は紙一重。多少の論理的飛躍はあるが、「嘘もあきらめなければ実現する」「夢も百回言わなければ嘘のまま」とも言えはしまいか。

いや、そうであってはならないんだけどね。ありがちなことだという認識もなければ、防ぐことはできないという話。

ところで、ドラマ『女の勲章』のやり手プレイボーイは、それぞれの女に、他の女の陰口をやんわりとほのめかしつつ、当人のツボを誉めそやすという、古典的テクニックの名人級女たらしだが、これがもし他の女ともホットな関係を持っていることをカミングアウトしつつ、言い寄っていたらどうなるのだろう?(やる奴はまずいないだろうから、半永久的な謎として興味がある)

それでも女が乗ってくるなら、それは本当にモテることだし、両者とも自覚・公認の上なら、それはそれでいいような気もするのだが? 

それとも、うすうす嘘だとは勘ぐりつつも、嘘でもいいから酔っていたい、嘘をエンジョイするつもりで甘言に乗ってみたい、という心理は、女にも男にもありそうだ。政治に対する大衆心理=ポピュリズムにもある。

公共の害にならない程度の嘘を、嘘と自覚しつつ楽しむぶんにはいいんだけどね。当初はそのつもりでも、だんだんギャンブル的に「はた迷惑」こみで嵌まってしまう、というのが人間の業なのかもしれない。