「愛は祈りの準備」

「愛は祈りの準備」

osho

恋人同士は予測可能でない。

不確実だ。

何が起こるかわからない。

それが美しさだ。

そうすれば互いに、

新鮮で、

若々しく、

生き生きしていられる。

でも私たちは互いに

相手を「物」にしたがる。

物であれば扱うのは楽だ。

また物であれば

恐れる必要もない。

どこにいるのかもわかるし、

振る舞いもわかる。

前もって計画できる・・・

こうしようとか、

これはやめようとか。

私に言わせれば、

結婚とはひとつの協定であり、

その協定によって、

二人の人間は物の水準へと落ちる。

愛は協定ではない。

愛とは瞬間から瞬間への出会いだ。

愛は生きている。

もちろん危険に満ちている。

でも生とはそういうものだ。

結婚は安全だ。

危険はない。

愛は危険だ。

この先、何が起こるか

決してわからない。

次の瞬間は未知だ。

いつも未知だ。

だから愛というものは

瞬間瞬間に未知の中へと入っていく。

それこそがイエスの言う

「神は愛なり」と意味だ。

神は愛のように、未知だ。

もし愛と不確実に

生きる覚悟がなかったら、

神の中には入れない。

神はもっと大きな不確実であり、

もっと大きな未知だ。

愛は祈りの準備となる。

もし愛することができたら、

そして未知の人間と過ごし、

その人間を物へとおとしめることなく、

また予測可能になることもなく、

瞬間から瞬間へと

出会うことができたら、

そのとき、

祈りの準備は進んでいる。

祈りは

愛に他ならない。

祈りは

<存在>全体への愛であり、

<存在>と共に、

生きることだ。

ちょうど恋人と共に

生きるのと同じだ。

その気分もわからないし、

その季節もわからない。

次に何がやって来るか

全くわからない。

ただひたすら

発見していくだけだ。

それは

終わりのない

旅だ。

OSHO「ヴィギャン・バイラブ・タントラ 生の神秘」より