二つのタイプ

「何をやってもキムタク」とは、木村拓哉をクサすのによく見かける文字列であるが、それはマイナスの表現ではないのだよ。

ちなみに「何をやっても○○」な役者さんというと、

 何をやっても天海佑稀、何をやっても田村正和、何をやっても高倉健、何をやっても大地真央

基本的にタカラヅカのトップスターさんは「何をやっても同じ」になる傾向があるように思う。

それは彼女らが「タカラヅカのトップスター」だったから。

広い広い劇場にたった一人で立っても、空間を余らせないだけの「オーラ」を身につけているからではないかと思う。

「何をやっても○○」な役者さんは、お芝居の「役」がなくてもスターとして成り立っているのではないのかな。

だからといって「何をやっても○○」な役者の方がいい、と言うことではない。もちろん。

ワタシの中で対極にいるのは「大竹しのぶ」である。

ある舞台を見に行ったワタシは、オペラグラスを忘れていった。

だから第一幕(その役はずっと出ずっぱりである)が終わって、ロビーで配役表を見るまで「大竹しのぶは休演で、代役がやっている」と思っていた。

そのくらい、テレビの「大竹しのぶ」とは違ったのだ。

お芝居がおわって、カーテンコールのときに挨拶した彼女は普通にテレビでみかける「大竹しのぶ」だった。化けモンやと思いました(褒めてます)。

そういう幅の広い役者さんの作品と、「何をやっても○○」な役者さんの作品を比べることは意味がないと思うんだけどなぁ。

木村拓哉には「オーラ」がある。

それはかつてSoftbankのCMで「18時に全局で1回だけ」というのをやったときに改めて思った。

他のメンバーのどこかが悪いというのではないのだ。

彼は「違う」

彼の持つ「オーラ」は他の人が努力して身につけることが出来るものではないのだ。

丁度それはかつてタカラヅカ歌劇で、下級生の天海佑稀が群舞で踊っていながらも、周囲の上級生を押しのけて光り輝いていたいのと同じように。

「オーラ」は必ずしも誰もが持っている武器ではないのだから、その武器を歳断言に生かしながら、「マンネリ」といわれようが突き進んでいけばいいのである。

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■何をやっても木村拓哉論に異論『無限の住人』原作者・沙村広明氏、スターとはそういうもの

 

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