【そもそも人間学とは何か】 人物と教養の結語

知古嶋芳琉です。

 前回までは、

私が師事した安岡正篤師が

連続講義をされた記録で、

『東洋思想十講』という書の中から、

思うがままに引用して、

お話しを進めてまいりましたが、

今回がいよいよ最後になります。

−−−ここからは、その引用です−−−

決語

○ 専門的愚昧と日本の現状

 近代文明と

その社会に生きる

知識人の注意すべきことは

いろいろありますが、

特に注意すべきことは、

近代社会の特徴の一つである

分化現象、分業制度の発達であります。

これは職業生活・社会生活ばかりでなく、

学問・芸術等

あらゆる分野にわたって

行なわれてまいりました。

そして

確かに

それぞれの分野の専門として

意義もあり、また価値もあったわけであります。

ところが

その専門が

だんだん細分化するとともに、

やがて人間が部分化し末梢化して、

偏屈になるという弊害が出てきたのです。

専門的権威と同時に

専門的愚昧というものが

現われるようになったわけです。

しかし、

真理というものは妙なもので、

次第に分化して細分化の頂点にまで発達すると、

今度は再び根元に還り

総合を要求します。

例えば

顕微鏡がそうであります。

初めの頃の未発達の顕微鏡は

操作も簡単で、

誰でも使用することができました。

ところが

次第に発達するにつれて、

もう今日では

物理学・工学・細胞学・数学等

いろいろの学問の総合的頭脳がなければ、

顕微鏡を見ることもできなくなっております。

医者でもそうです。

昔は

例えば

眼科医なら眼科の分野だけしかわからない。

ほかのことは

他の専門医に

行ってくれということで

済んだわけであります。

ところが、

だんだん

専門的研究が進むにつれて、

我々の生理現象は

最も鋭敏に目に現われることが

わかってまいりました。

したがって、

今までのように

眼科医だから

目だけわかればよいでは

済まされないわけで、

本当の眼科医であれば

目を診ただけで、

あらゆる内科症状が

わかるようにならなければいけないのであります。

しかし

現在、

そのような

本当の眼科医はなかなか世間におりません。

同様に

政治家や実業家・教育家なども、

みな

それぞれの職業に偏って、

部分人・不具片輪といったものに

なってしまっている。

人間としての

まったき精神・見識等がなくなって、

片輪の人間になっている。

それでは

人間としても

職業人としても

破滅してしまいます。

 その一番切実な例が

今日の日本でありまして、

政治や社会を指導する人たちの

そういう

人間的な欠陥・片輪の考え方が、

このような

社会不安・政治的混乱を引き起こし、

また

助長しておると申してよいと思います。

人間としての教養・見識・信念が欠けていると、

日々起こってくる

いろいろな問題に

即応することができません。

そこで

ますます

混乱を招くということになるわけであります。

皆さんもそうでありまして、

入社されてしばらくの間は、

それぞれの分担の仕事に精通して

有能になればよかったのでありますが、

だんだん地位が上がって

多くの部下を

支配していかなければならぬようになると、

ただ

事務に

エキスパートである

というだけではだめでありまして、

結局、

人間的内容が

問題になってまいります。

本当の教養・学問が大切になってまいります。

○ 坐の理論と効能

 ご承知のように

大陸から離れている日本は、

古来、

神道というものがあって、

他の大陸諸国とは

個性を異にした文化を持っておりますが、

しかし、

大陸文化の影響は大きく、

また

儒教道教仏教文化とも渾融して、

日本民族の精神文化が

つくられてきたのであります。

その

大陸文化の根本をなすものは、

中国の孔孟思想と

老荘思想の二大思潮でありますが、

しかし、

この両思潮も

漢代になると

互いに交流して、

はっきりと区別がつかないくらいになって

発展してきました。

そして

一方では

儒教老荘を骨髄にして、

それに民間の信仰が加わって、

道家というものが生まれております。

さらに

漢代に入って

仏教が伝わるに及んで、

この

仏教と、

特に思索的・超俗的であった老荘思想

深く影響しあって、

道教

非常な発達をいたしました。

同時に

仏教もまた

大きな影響を与えられて、

中国独特の

民族的な禅が生まれたのであります。

すなわち

孔子孟子荀子による儒家と、

老子荘子による道家

中国思想の本流でありますが、

そこへ

インド仏教が渡来して

新たな交流を生じ、

道教と禅を生んだわけであります。

 インド仏教は、

北インドから

シルクロードを通って

中国に入ってきました。

 そのインドには

カーストと呼ばれる階級制度があって、

上から順に

バラモン(僧侶)、

クシャトリヤ(武士)、

ヴァイシャ(平民)、

スードラ(奴隷)、

の四姓に分けられ、

それは

今日まで

根を残しておるわけでありますが、

その最高の権威階級であるバラモンが堕落して、

それを反省して

ウパニシャッドという哲学が生まれました。

ウパニは「近くに」、

シャッドは「坐る」という意味で、

つまり

ウパニシャッド

「敬虔に侍坐する」

という意味であります。

禅はここから発生したのであり、

また

経験的に発達したのがヨガでありまして、

したがって

どちらも

「坐」が修行の基本になっております。

日本は坐の国であり、

坐禅が広く普及したにもかかわらず、

坐の本当の意味を理解している人は

非常に少なく、

坐ることは非合理的・非衛生的だというのが

常識となっているようであります。

しかし、

坐には坐の真理があり、

決して非合理的・非科学的でもなければ、

強制的慣習的でもありません。

立派な理論・効能のあるものです。

まず一番の効能は足を鍛えるということです。

と言っても

何も

歩くことばかりが

足の鍛錬ではありません。

坐れば必ず起(た)つわけで、

屈伸という運動の

根本原則を自ら実現します。

終戦も近く、

次第に空襲が熾烈になった頃の話でありますが、

空襲で

神経性の恐怖症に罹(かか)った患者を

千葉医大の伊藤教授は

坐禅を応用して治されました。

その方法は、

まず

患者の太股を

ゴムバンドで

しびれるくらい強く縛って、

血液の循環を止め、

時間を見計らって

急に弛めるのです。

すると

止まっていた血液が

非常な勢いで循環して、

毛細血管の働きが活発になる。

人間は心臓がいくら働いても、

毛細血管が詰まると

いろいろな弊害が生じます。

そこで

毛細血管を刺激して

血液の循環をよくすることによって、

空襲による恐怖症も

治ってしまったというわけです。

そして

伊藤教授は

このように語っておられました。

時々

足がしびれて

起てなくなるくらい坐るのは

最も良い健康法である。

私は

坐というものが

こんなに有益なものだということを

改めて認識したと。

 また

禅は、

坐と同時に

拭き掃除を

修行の一つとしています。

これは

言い換えれば、

人間を

元の四つ足の動物の姿に

還しているわけです。

そうすると

起つことによって生じてきた

胃腸疾患とか神経衰弱といった病気が

容易に治ってしまうという効能があるのです。

 次第に

観念的・文献的になっていた

インド仏教

中国に入って

老荘と習合して、

ウパニシャッドから発達してきた

禅を

坐禅という

大変意義のあるものにしたわけでありますが、

その禅を

神髄として

仏教

中国に紹介して、

精神界・思想界に大きな影響を与えたのが

慧遠(けいえん)という人であります。

インドから

中国へ

仏教を伝道した人は

たくさんいますが、

そのほとんどが

貴族階級や支配階級に取り入って

堕落していきました。

その中にあって

慧遠は

「袈裟(けさ)は朝宗の服に非(あら)ず、

鉢盂(はつう)は廟廊の器に非(あら)ず、

沙門は人外の人、敬を王者にいたすべからず」、

袈裟や鉢などの仏具は

朝廷や貴族に交わるためのものではなく、

仏道を行ずる者は

支配階級に伺候(しこう)するものではない

という名言を残して、

つまり

僧侶は

支配階級に近づくべきではない

と言って、

盧山(ろざん)に隠棲(いんせい)しました。

その慧遠の風格を慕って

陶淵明(とうえんめい)・陸修静など

十八人の

当時の識者が集まり、

盧山の東林寺

「白蓮社」を結成しました。

これが

南画の画題になり、

「虎渓三笑の図」

なども広く知られています。

○ 切実に望まれる本当の指導者の出現

 禅宗という立場からいえば、

その先駆者は

達磨大師であります。

達磨は

インドから

中国へ渡り、

梁の武帝の尊信(そんしん:尊び信頼すること。

また、尊んで信仰すること。

≪尊信教(そんしんきょう:日本における

皇室の祭祀する神道の呼称。

明治時代に政教分離の原則と

両立するよう構想されたもの)≫)

を受けたが、

契合(けいごう:割符を合わせたように、

ふたつのものがぴったりと合うこと。

それぞれが統一融合すること)せず、

去って

崇山の少林寺坐禅を主とし、

禅宗の祖になりました。

武帝という人は

なかなかの文化皇帝で、

儒教の教養も厚く、

特に

仏教に帰依して

その興隆に尽くした人でありますが、

その武帝

大いに仏教の興隆を計り、

仏教に関する新知識を求めていたときに、

達磨大師

インドから

広東あたりに上陸して

中国へやってきたわけです。

そこで

武帝

非常な期待をもって

達磨を迎えました。

そのときの

両者の問答の一部が、

日本にも広く普及した

『碧巖録』の冒頭にある、

名高い「不識問答」であります。

 さて、

武帝と達磨が会ったわけですが、

なにぶん

武帝という人は、

深く仏教に帰依したとはいっても、

当時の貴族の常として、

多分に

後世のために

功徳を積むという

功利的煩悩を持っておりました。

そこでまず達磨に向かって

「朕即位以来、

造寺写経度僧等勝(あげ)て紀すべからず。

何の功徳かある」、

私は即位以来、

数え切れないくらい

寺を造ったり写経をしたり、

僧を援助したりしてきたが、

いったい

どういう功徳がありましょうか、

こうたずねました。

すると

達磨は

平然として

「並びに功徳無し」

と答えました。

驚いて

武帝

その理由をたずねますと、

達磨曰く

「此(こ)れはただ人天の小果、

有漏の因。

影の形に随(したが)う如く、

有と雖(いえど)も実に非(あら)ず」と。

人天とは

地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上の

「六道(ろくどう:仏教の輪廻(りんね)思想において、

衆生(しゅじょう)が

その業(ごう)に従って

死後に赴くべき

六つの世界。

地獄道

餓鬼(がき)道、

畜生(ちくしょう)道、

阿修羅(あしゅら)道、

人間(にんげん)道、

天道をいい、

六趣(ろくしゅ)ともいう。

人・天の二道は善趣、

他の四道は悪趣とされる。

仏典では

修羅(阿修羅(あしゅら))をあげず

五道とするのが一般的であるが、

日本では

六道輪廻の語が定着している)」

の中の人間と天上のことで、

有漏(うろ:仏語。漏すなわち煩悩(ぼんのう)に

けがれた迷いのある世界)は

煩悩に満ちた人間世界のことです、

有漏に対して煩悩を解脱した

永久不滅の悟りの世界を「無漏」といいます。

すなわち

造寺・写経などということは

未だ迷いの世界における

小果(しょうか:仏語。生ずる結果の小さいこと。

また、その結果)であって、

結局は

有漏の世界を輪廻する

因にすぎない。

仏の功徳などというものは

影の形に随うようなもので、

あると言えばあるけれども、

実体ではないということです。

 そこで武帝は重ねて達磨に質問しました

−−

『碧巖録』は実はここから採り上げているのです。

−−

「如何(いか)なるか是(こ)れ聖諦第一義」。

それでは

仏教の真理とは

いったい

何ですか

というわけです。

達磨のいう

廓然無聖(かくねんむしょう:

「廓然」は大空のからりと晴れあがったさま。

大悟の境地を形容したもの。仏語。

禅における公案の一つ。

絶対に不変である真如界は、

凡人と聖人との

はっきりした区別などがないということ)」、

何もありません。

ますますわからなくなった武帝

「朕に対する者は誰ぞ」、

いったい私と対しているあなたは何者ですか

と聞きました。

すると達磨は「不識」と答えたのです。

そして

俗物で、

本当のことは

まだ何もわかっていない武帝とは

付き合っておれないというので

袂(たもと)を分かち、

揚子江を渡って

魏の国へ行ってしまいました。

武帝

「本当の功徳とはどういうものですか」

とたずねたときに、

達磨は

要するに

世俗的な御利益仏教を打破して、

自我の真性

(しんしょう:仏語。いっさいの現象にそなわる

真実不変の本性。法性。真如。あるいは、しんせい:

人為の加わらない、ありのままの性質。生まれつき

の性質。天賦の性質。天性)

を徹見(てっけん:すみからすみまで見とおすこと。

ありありと見えること)し、

真実の世界を

開顕

(かいけん:【開権顕実】(かいごん‐けんじつ)の略。

《「権」は方便、「実」は真実の意》

天台宗で、法華経以前の諸経の教え

<三乗(さんじょう:衆生を悟りに導く

三種の教法を乗り物にたとえたもの。

すなわち、

声聞乗(しょうもんじょう)・

縁覚乗(えんがくじょう)・

菩薩乗(ぼさつじょう)。

あるいは、小乗・大乗・一乗のこと。)>は、

すべて方便にすぎず、

法華経こそ

真実の教えであることを表したもの)

しようとするところにあったわけであります。

慧遠とか

仏陀跋陀羅・玄高・宝誌など

多くの先駆者がありますが、

何と言っても

達磨大師を開祖として発達した禅が

一番普及しました。

 しかし、

初めの頃は

一宗を立てることもなく、

専門の道場もありませんでしたので、

道教の建物を借りたり、

洞窟や野天などで、

素朴な生活をしながら

修行していたのであります。

それが次第に発展するにつれて

専門道場が要求されるようになり、

また、

いろいろな制度が発達するようになって、

唐代もしばらく経って、

禅宗という一宗が

できるに至ったわけであります。

この達磨の教えに入るには「二入」といって、

二つの道があります。

すなわち

理から入るのを「理入」と言い、

行(ぎょう)から入るのを

「行入(ぎょうにゅう)、

受戒(じゅかい)等の諸の行力を以て、

身心の煩悩を責尽すを云也」)」と言う。

つまり思索と実践であります。

 しかし、

理入のほうは

どうしても

観念的になるので、

禅では

行入のほうが

重んじられるのであります。

達磨の行の代表的なものに

「四行」があります。

? 第一は報冤行。

いかなるうらみつらみがあっても、

文句を言わないでそれを受け容れる。

? 第二は随縁行。

人間はいくら理想を持って行じようとしても、

縁というものがなければどうにもなりません。

つまり、

空理空論ではなく、

具体的な問題を

具体的な方法で行なうということです。

? 第三は無所求(く)行。

求めるところのない行、

内心のおのずからなる要求から行なう。

行という打算的な考えのない行。

? 第四は称法行。

称は「かなう」という意味で

法、真理にかなって、

法のまにまに

ぴったりと一つになって行じていく。

以上の四行をもって修行していくことを

純禅と言って、

これは

達磨大師の教えの中心をなすものであります。

 達磨大師に「皮肉骨髄の説」というのがあります。

これは

弟子に

禅の神髄とは

何かということを

教えたものです。

あるとき

大師が

高弟を集めて、

一人には、

お前はわが教え・わが道の「皮を得た」と言い、

次の弟子には「肉を得た」、

三番目の弟子には「骨を得た」、

そうして最後の慧可に向かって、

「お前はわが教えの神髄を得た」

といわれた。

髄とは

骨に包まれた

一番大切なもので、

慧可は

その大切な教えの

骨髄を会得したというのであります。

 この達磨大師に始まる禅が、

やがて中国文化に

大きな門戸を開き、

日本にも伝来して、

多くの優れた人材を生み、

それが今日まで及んでいるのであります。

しかし、

日本は

明治以来、

西洋文化に眩惑(げんわく:目がくらみまどう)されて、

こういう

貴(とうと)い

東洋の

伝統的な文化遺産を捨ててしまって、

人間の内面生活を

空疎にしてきました。

その結果、

今日の社会的混乱を招いたとも

言うことができます。

 したがって、

これを解決するには、

本当の意味の教養を身につけた

指導者が必要でありまして、

そういう人材の出現が

何よりも

一番切実に

望まれるわけであります。

−−−引用はここまでです−−−