あなたの目覚めに対して、ご自身で責任をお持ちなさい ガンガジとの対話

ガンガジ   昨夜、最後に質問をなさった男性が、席に戻られる前にこのようにおっしゃいましたね。

「僕は、怠慢でいることをやめなければならないですよね。」と。

彼がおっしゃったことがどのような意味なのか、とてもよくわかりました。

そのとおりだからです。

そこで私はこのように申し上げました。

「 責任をお持ちなさい。

あなたの気づきに、責任をお持ちなさい。 」と。

私はこれまで、

何かをすることをやめて、ただ単に、開いて、受け取るということを

お話ししてきました。

私たち人間は、『常に何かをする』ことに執着している種です。

欧米の文化の影響も確かにあるでしょう。

「どうやってあれを得ようか。」

「それが失われないようにするには、何をしたらよいだろうか。」

「あれを受け取るために、何をすればよいのだろうか。」と、

たえず考え何らかの行動を起こすわけです。

それをおやめになってごらんなさいと、皆様に申し上げてきました。

何もしないのです。

ただあなたのマインドを開放するのです。

恩寵は、私たちの選択外のところで起こります。

ここにいらっしゃるすべての皆様の人生にはもう既に起きました。

あなたがそれを起こした訳ではありません。

起きるようにと祈られたのかもしれませんが、あなたが引き起こした訳ではないですね。

恩寵は、『何かをする』ことから、まったく自由です。

そのように申し上げると、質問が出ます。

「それでは、起きた恩寵がどこかへいってしまわないようにするには一体どうしたらよいのでしょうか?」

「恩寵に、正直でいるにはどうしたらいいのでしょうか?」

「どうしたら、真実の私に気づくのでしょうか?」

これらは、すべて、『私』は何をすればよいのだろうか、という質問です。

そして、ご存知の通り、私はこの質問に対して、長い間

「何もするな」と申し上げているのです。

けれども、昨夜、男性が質問をなさった時、

責任を持つようにと、つまり、何かを、する、ようにと彼に申し上げました。

どのような意味なのか、そのことをこれからお話ししましょう。

『私たちに選択できないことと、選択できること、があることに気づく』ということについてです。

恩寵が起きるかどうかということは私たちには選択できないと、たった今申し上げました。

私たちの都合に合っているかどうか、私たちが好むか好まないかに関わらずにそれは起こります。

ときには、起きて欲しくなかったと思うこともあるかもしれません。

そのときのあなたにとって、全く都合の悪い恩寵、というものだってありますから。

また、過去に起きたことが原因で、わき上がってくる感情、これも、やはり選択することができません。

ところが、

人生のある時点で、それは、かなり成長した状態なのですが、

選択ができることがあるということに気づく場合があります。

自然に気づくというよりも、意志が気づきをもたらすと申し上げましょう。

その意志とは、

『選択ができないあらわれの中にいながらも、あなたが自分で選んでいることがある』ということをすすんで発見しようというものです。

  

それは、あなたのマインドと、人生に起きる現象との関係です。

あなた個人の人生かもしれませんし、集団としての人生かもしれませんが、

どちらも同じことです。

先に申し上げたように、出来事は、あなたのコントロールがきかないところで起こります。

あなたの内側でも、外側でも、あなたがそれを選択することはできません。

けれども、その中に選択できることがあるのです。

あなたが責任を引き受けることのできるところです。

それは、

『ああ、また同じことを繰り返すことを、自分自身で選んでしまっている』ということを見る責任です。

そして、

そのような自分自身に、開いて、向き合うという選択です。

それに伴って、たとえ、特別な思考、居心地の悪い感情や出来事、身体の感覚が起きたとしても、そのことに向き合い、心を開くという選択です。

昨夜質問をされた男性に、責任をお持ちなさいと申し上げたのはこのことです。

人間には、長い間、居心地の悪い感情を選択せず、そのかわりに楽しみを長引かせようとしてきた歴史があります。

逆に、中には、居心地の悪い感情を長引かせ、喜びを拒否したい癖をお持ちの方もいらっしゃいます。

特殊な癖ですね。

(笑い)

それがどのような癖であろうと、苦しみがあるのは、そこです。

なぜなら、癖がくりかえされるところ、それが、あなたが責任を引き受けていないところだからです。

あなたにすべての責任があるのは、そこなのです。

もしかすると、

責任がないように感じられるかもしれません。

けれども、

あなたがいつも従ってきた癖に従うのをやめ、

心を開く選択をしてご覧になれば、おわかりになるでしょう。

自由が現れます。

あなたには自由な意志があります。

それは、宇宙全体に対してだとか、

もう既にあなたの中に転がり込んできていることに対してではありません。

責任を取るかどうかということに対する自由意志です。

先日、レイチェルの結婚という映画を見ました。

題名から予想したストーリーとは、全くかけはなれていました。

麻薬から抜け出すためのリハビリの話でした。

その中で、カウンセラーが

『あなたは何を選択しているのか。

たった今何を選択したのか』と、尋ねるのですが、

まさにその通りです。

私たちは中毒です。

私たち一人一人には、

中毒になっている考えや、ストーリー、感情といったものがあります。

そして、あなたの中に、この、中毒を引き起こしている感情の波がわきあがってきたとき、ある時点であなたは、

被害者に陥るか、それとも、責任を持つか、そのどちらかを断固として選択することができるのです。

毅然とした態度で、

「NO! もうごめんだ!」と言うことができます。

パパジが、

あなたという高貴な存在に対して、あなた自身が責任を持つこと、と

表現なさいましたが、

それは、あなたという輝きに対して責任を持つことです。

あなたの目覚めに対して、自分自身で責任を持つことです。

お分かりでしょうか。

何かをするのではなく、やめるのです。

ずっと、自分を被害者にしてきたことをやめ、

自分の価値を低く見積もり、自分の目覚めを否定してきたことをやめるのです。

それが、『家に帰る』という意味です。

家に帰るという表現は、

お母さんのお乳を飲んでいた赤ちゃんの時のように、何の心配もなかった頃に戻ることだとお思いになっているかもしれませんが、

そうではありません。

『家に帰る』とは、 大人として生活をしながら、 自由であり、目覚めていることです。そして、あなたには、何もコントロールすることができないのだということを知りながらも、 あなたが選択することのすべてに、すすんで向き合い、そのことに意識的でいることです。

あなたが、『真実のあなたである』ということに対しては、あなたに選択することができません。

なぜなら、あなたはもう既に『それ』だからです。

あなたにできる選択とは、

『真実のあなた』とはいったい何なのか、誰なのか、を調べてみることです。.

あなたが今朝、ここにいらっしゃることもその選択の一部ですね。

身体と、時間と、お金を使って、そのことを調べて見ようと、ここにいらした訳です。

何万年、何十万年という長い間、

まったく意味がないように思えた、

『真実のあなたでいる』というそのことを、

あなたは今、この時点で、この人生で、この週末のこの朝に、意志を持って選択なさっています。

たとえ、一体何を選択しているのかが明確に定義できなかったとしても、

『あなたという真実の核心に開いていること』を、

あなたは今、選択なさっています。

 

でも、これで、十分ではないのです。

あなたの人生のすべてを、この選択に捧げなければなりません。

なぜなら、これは、長い間拒否されてきた選択だからです。

ですから、

もしもあなたが、突然またいつものモードに戻り、

ああでもない、こうでもないと、その選択を否定し始めたら、

「おっと。ちょっと待てよ。

今、私は何を選択しているのだろうか?」と、責任を取ってください。

なぜなら、

あなたの中の被害者は、

「私のせいで。」

「あなたのせいで。」

「あの人のせいで。」

「今までだって一度もなかったのだから、これからだってあるはずがない。」

「なくしてしまったから。」

という具合に、どんどん膨れ上がって続いていくからです。

そのまま被害者を肥大させるか、

それとも、やめるかです。

私がここにいるのは、あなたが、そのような古いストーリーを、おしまいにするのをサポートするためです。

あなたが、また新しいストーリーを作り出すために、私はここにいるのではありません。

新しいストーリーは、選択することなく現れてくるかもしれません。

なぜなら、それは、マインドの瞬間的な働きだからです。

そのことはまったく何も悪くはありません。

私がここにいるのは、

それが古いストーリーであろうと、新しいものであろうと、

たとえあなたが、あなたというストーリーのまっただ中にいらっしゃるのだとしても、

『選択せずとも、もうすでにそうであるところの”真実のあなた”』を、あなたがすすんで選ぶことができるように、サポートをするためです。

そしてあなたが、

一人でおられても、グループの中にいらしても、隣にどのような方がやってこようとも、そのことを、あなたという存在そのものに対して表現し、

『真実のあなた』を、あなたから溢れ出させることができるように、あなたを支えてさしあげるためです。

それはあなたが何もなさらなくても、ひとりでに溢れ出します。

私のまねをして、言葉にする必要はありません。

言葉になさらずに、

それがあなたから自然に溢れでてくるのが一番よいのです。

そうなると、あなたは、この大きな世界全体に対して、

もう一つの被害者のストーリー、

つまり、選択することなしに、無意識に起きるもう一つのストーリーをばらまく代わりに、

『真実のあなたであるところの、純粋な光り輝く存在そのものに、自らを開く』という、人間の可能性を寄与することになるでしょう。

ですから今、

『あなたの生は、世界に対して一体、何を与えているのか』を

よく調べてみてごらんなさい。

あなたの選択です。

これは、あなたの感情や、今起きている出来事とは全く関係ありません。

あなたの過去に何が起きて、それが起きたときにあなたがどのように感じたかとか、将来あなたに起きるかもしれないことや、そのときにあなたが何を感じるであろうかなどということとも、全く関係がありません。

あなたの選択がそのようなこととなんらかの関係があるのならば、

それはおなじみの古いストーリー、

『私』というストーリーです。

『私』に起きた、

『私』に起きるかもしれない、

『私』に起きるべき、または、起きるべきではなかった、

そういうものが、

『私』です。

それが、被害者です。

『私』にならないでください。

重荷です。

本当のあなたへの虐待です。

今のあなたの人生のこの時点では、もうそのようなことは全く必要がありません。

なぜなら、あなたは、あなたに起きたこの奇跡に向き合い、それを受け取ることを選んでおられるからです。まったく予期せずに起きたことなのか、それとも、祈られたのか、子供のときに既に起きたのかどうかはわかりませんが、

でもとにかく、

『真実を知りたい』という

恩寵や奇跡があなたに起きたのです。

真実のあなたが、あなたを愛してやまない『それ』が、あなたを呼んだのです。

あなたの名前を呼んだのです。

『ここにいますよ』と。

そして、私の話が、いくらかでも、気になっていらっしゃるようなら、

あなたには準備ができています。

これが、昨日お話しした、『切望する』ということの意味です。

計り知れないほどに大きな何かが、あなたの内側からあなたを呼んでいます。

もしも、あなたが、

今はそのようには感じられないけれども、それでもやっぱりここにいらっしゃるのでしたら、過去に呼びかけられたことがあったはずです。

本当はご存知のはずですね。

呼びかけられたのに、くだらないことだと脇にどけておいたのかもしれません。

今後、何度、呼びかけられるのか、それはわかりませんよ。

(笑い)

と申しますのは、呼びかけを脇にどけておくことを選んでしまう痛みが、

麻痺してくるということがあるからです。

そうなると、あなたの中に生き生きと息づいているこの恩寵が、あなたが作り出すストーリーによって不鮮明になってしまいます。

ですから今このとき、この、貴重な時間を使い、

何か、いい訳をしていないかどうかを進んでごらんになってください。

『このような理由があるからできない』

『今はまだできない』

『私には、できない』などです。

そして、言い訳なさっているのでしたら、

単純に、それをおやめになってください。

私が申し上げているのは、どうか成長なさってくださいという意味です。

成長してください。

成長するのは、素晴らしいことです。

こどものあなたが考える成長とは違いますよ。

こどもにとって、大人になることは退屈に見えます。

ガンガジの人生を生きていらっしゃらない方にはきっと私の人生は大変退屈に見えるでしょう。

成長して、ご覧になってください。

そうすれば、おわかりになります。

こどものあなたを楽しませていた事柄は、もう、あなたを楽しませないということを。

こどものあなたを怖がらせた事柄は、もう、あなたにとって怖いものではないということを。

こどものあなたに魅力的だった事柄は、もう、ちっとも魅力的に見えないということを。

こどもっぽいものはみんな、捨てておしまいなさい。

さあ、

よろしいでしょうか?

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