小さな島の行きつく先は423

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ゆりを乗せた新幹線はトンネルを抜けて近江の国から山城の国に入った。

彼女が京都行きを決断したのは2日前の仕事納め。

いつものように美術館からまっすぐ家に戻ると、

ポストには郵便局からの不在通知が届いていた。

手に取ると、書留め速達で、

差出人は先だって訪れた新宿の街外れの探偵社だった。

ゆりは通知はがきを玄関先で破り捨ててやろうかと思った。

が、万が一、定村の居所がわかったのであれば。

その一心で、通知した郵便局に電話すると、

案内の曇った声の女性は、

本日の配達はもう締め切りましたので

明日の再度配達でよろしいですか、と無機質に言う。

午前中の配達でどうにか、彼女と折り合いを付けた。

翌朝、休日にも拘わらず、目覚まし時計にも頼らず、

ゆりは普段通りに朝6時に目を覚ました。

定村がいないテーブル椅子に座り、

トーストとコーヒーだけ軽めの朝食を摂りながら、

テレビで天気予報をチェックして、全国紙の朝刊を飛ばし読んだ。

都内とはいえ、郊外の古い平屋の一軒家で、

初めて迎える冬の寒さを、暮れの女の一人身の寂しさを、

袖を折り返した男物の濃紺のガウンを羽織り、

定村が実家から持ち込んだガスストーブで暖りながら、

ゆりは2杯目のコーヒーを飲んだ。

木目模様の掛け時計を見上げ、

二人の中学時代の同級生の木下勝という男が代表を務めるリサーチデイドリームスからの一日遅れの知らせを、今か遅しと、待っていた。

探偵社に直接電話を掛けたほうがいいような気もしたが、

冬休みに入っているかもしれない。

仮に営業中でも、受付嬢から回線が回され、

受話器の向こうにナマズ髭の木下が出るようなことがあれば、

何かと気まずい思いもするだろう。

ここはひとまず、郵便配達を待つほうが賢明であると、判断した。

車が停まる音がした。

玄関に飛び出すと同時に、モノトーンのチャイムが鳴った。

赤い軽貨物で届けたくれた若い女性が手にした封筒の付箋に、

ゆりはこれでもかと、水野の印を強く押した。

新宿のスタンプが押された、一日遅れの書留めの速達は、

午前9時45分。

待ちわびた、彼女の手元に届けられた。

ありがとうございます

配達した女性の顔を満足に見ることなく、テーブルに戻って、

用意していた鋏で封を切った。

定村のいないテーブルに座って目にしたものは、

ワープロ文字で4の用紙にプリントされた内容は、

ナマズ髭の小男である木下勝の指示で受付嬢が書いたにせよ、

その容姿からは想像できないほど、理路整然としたものだった。

レポートによると、

ご依頼の定村英一郎さんは愛車のビートルと供に、

10月の下旬から京都駅近くのビジネスホテルに1週間滞在した模様である。

松井孝介が主催する劇団の公演の最中、

幕が下がるのも待たず退席した定村の後を追い、

すぐ後の席に陣取ったゆりは、つられるように劇場に出たものの、

音痴とはいえないまでも、スポーツ経験のない彼女は、

サッカー少年だった彼の足にはとても付いていけず、

その姿を見つけ出すことができなかった。

ゆりの前から定村が姿を消した当夜、

二人が暮らした東京郊外の家にタクシーで舞い戻った彼女は、

以来、愛しい人の帰りを待っていた。

しかし、定村はその足で、京都に向かっていたのだ。

京都といえば、一泊二日の旅とはいえ、

4月前の旧盆に定村と二人で過ごした、

ゆりにとっても思い出の地である

レポートによれば、

計ったように1週間でビジネスホテルを後にした定村は、

祇園近くの唐人ハウスという外国人専用のアパートに移った。

以来、このレポートが作成され、書留の速達として投函された、

12月27日に至るまでの2月、

旅館を改造した古い日本家屋のアパートに、

ただ一人の日本人として、定村は居着いているという。

社印の押されたレポートには、

彼のとった行動の解明はできませんでした、記されている。

追記として、京都での定村の日常生活は、

このアパートの管理人を兼ねるトムというアイルランド人が務める英会話教室での事務職に就くことで生活費を賄っているようで、

京都に移り住んでからの定村が特別親しくしている女性は見受けられない。

以上、と締められていた。

ゆりに迷いはなかった。

すぐさま、に電話して、東京発京都行きの新幹線の切符を予約したが、すでに満席で、担当者にキャンセル待ちを依頼した。

幸運にも、夕方にはグリーン車の切符が取れましたと、

電話が入った。

翌朝、窓際の席で、ゆりは木下のレポートを何度も読み返した。

それから、気の向くままに、キヨスクで買った女性雑誌の同じページに目をやった。

重いボストンバッグを持って、京都駅の改札を抜けると、

音立てるような突風が彼女のジーンズとブーツの狭い空間を突き抜ける。

寒いと一言呟いて、ゆりはコートの襟立てた。

迷わず、タクシーに飛び乗った。

運転手に旧盆に定村と泊まった四条烏丸のホテルの名を告げると、ゆりは目を瞑った。

一瞬にして懐かしい幸せなひと夏を思い返せば、

旧盆の気節に定村と訪れた京都で、暑い!暑い!と、

子供のような駄をこねて、定村に甘えてばかりのゆりだった。

気節は移って、夏から冬へ。

一人旅の彼女は駆け足でここまで漕ぎ着けたがための乱れた呼吸を整えるべく、息を吐いた。

ホテルにチェックインして早。

荷物になりそうなボストンバッグを部屋に置いて、

とりあえず必要な物だけが入ったナップザックだけを手に提げ、

ゆりは背中に回し背負って部屋を出た。

階数の点滅を告げるエレベーターに今や遅しとに乗り込んで、

1階に到着するなりフロントまで駆け寄り、

603の水野です。

これから出掛けますので、よろしくお願いしますと。

部屋のキーをフロントに渡し、振り向きもせず四条通りに出て、

タクシーを呼び止めた。

後部座席に乗り込んで、

木下のレポートに記された唐人ハウスと住所を運転手に告げた。

運転手がルームミラー越しに呟いた。

お客さん。

タクシーの運転手になって、5年目ですが、

あのアパートにお客さんを運ぶのは初めてです。

それも若くて綺麗な女性とは驚いた。

言われなくても、言葉でわかります。

東京の方でしょう。

昔を知る先輩に聞いたところによると、

あのアパートは、昔は名のある旅館だったそうです。

こじんまりとしながらも、そこそこ繁盛していようですが、

上手くいかないものです。

女将さんに先立たれ、跡を追うように旦那が亡くなった。

少毛色の違った一人息子が旅館をたたんで、少手を加えて、

外人相手のアパートを始めたそうです。

観光客でもない外人がタクシーに乗りますか。

彼らはとにかくお金を使わないので有名です。

バスに乗るのも贅沢なようで、歩くか、

どこかで拾ってきた自転車に乗るがせいぜいときている。

タクシーにとっては、やっかいな連中ですが、

出て行けとまでは言えず、まったく困ったものです

話し好きな運転手の長い一人台詞が終わると、

タクシーは唐人ハウスの前に着いていた。

タクシーを降りると、

ゆりはそのまま唐人ハウスの玄関口に急いだ。

チャイムも見当たらなかったので仕方なく、

御免下さいと、やや大きめの声を上げた。

2度3度と繰り返すうちに、

ゆりの目の前に半纏を羽織った若い白人男性が姿を現した。

どうされました?

何かご用事ですか?

彼女の顔を覗き込むようにして、様子を窺って、彼は尋ねた。

初めまして。

わたしは水野ゆりと申します。

東京から参りました、

こちらのアパートに定村英一郎さんという方が居られますか?

木下のレポートとタクシー運転手から仕入れた情報である程度の状況を頭に入れたゆりは、外人相手に彼の表情を見ながら応えた。

あなたの言われた、定村というのはサダのことですね。

わたしはこのアパートの管理人も務めるトムと言います。

生憎ですが、彼は朝から出掛けているようです

トムが応えるや否や、

彼はどこに出掛けているのでしょうか?

ゆりは一歩身を乗り出した。

知りません

トムの応えに焦れったさを感じつつも、

彼はサダと呼ばれているのですか?

あなたは、サダとどういうご関係でしょうか?

トムはゆりの顔を眺めて尋ねた。

ゆりは一瞬躊躇した。

サダの彼女ですか。

言われなくても、

あなたの顔に書いてあります

トムの言葉に、ゆりはたじろいだ。

あなたの質問にお応えしますが、

彼はここでサダと呼ばれています。

通りでもらったフリーペーパーを見たサダがここに電話を掛け、

わたしと話した30分後には、ここに姿を現した。

初め会ったその日に、彼はわたしにこう言いました。

学生時代の1年間、ロンドンに住んでいた時に、

可愛がってもらった、レコードショップの店長とオーナーから、

サダと呼ばれていたので、ここでも僕をサダと呼んでくれ、と。

次の日から、彼はこのアパートの住人であり、わたしたちの仲間です

このアパートの住人にして管理人も兼務するという、

同年代かもしくはわたしよりも若いかもしれないトムという白人男性のしっかりと日本語で切り返すように質問されると、

果たしてどう応えたらよいのだろうか。

トムは言葉を続けた。

車を置いたままですから、

サダはそう遠くには行ってないと思います。

京都の街巡りにでも出掛けたかな。

歩きかバスでしょう。

いつものことながら、陽が暮れる頃には帰ってくるんじゃないかな

淡としたトムの語りを受けて、

ゆりは一端この場を出直して来ようと機転を利かせた。

そうですか。

彼は車を置いて行った。

古いワーゲンでしょう。

見せてもらってもいいですか?

ゆりはトムの顔色を窺った。

ええ。

構いませんよ

トムに連れられて唐人ハウスの裏手に回ったゆりは、

自転車小屋の奥の僅かなスペースに器用に置かれた、

ブルーのビートルに見入った。

懐かしいわ!

助手席を覗き込むようにして、ゆりは呟いた。

ここがわたしの指定席でした。

この春、東京の郊外のとある静かな町で、

彼とわたしが暮らすようになったのをきっかけに、

彼はそれまでの車を友人の車と交換しました。

それ以来、彼はこの車に乗っています。

彼とわたしは小学校から大学までの同級生で長い長い付き合いで

す。

はっきりと結婚の約束をした訳ではありませんが、

できれば長い将来を供にしたいと、半ば家族公認の仲でした。

その彼が2月前、わたしの前からぷつりと姿を消しました。

こうして京都まで乗りつけたこの古いビートルと一緒に

初対面のトムという外国人に、ゆりは胸のつかけの半分を吐き出した。

久しぶりに目にした定村の愛車のブルーの古いビートルのハンドルを、ゆりは一度も握ったことはなかった。

運転免許を持ってはいるが、触ったことすらない。

そんなことすら想いもしなかった。

ゆりはいつも定村の運転する助手席に座るものだと思い込んでいた。

トムに語ったように、まさしくそこが自分の指定席だと。

そうでしたか。

ゆりさん、サダは東京であなたと暮らしていたのですね。

この秋、サダが京都に来るまで、

わたしと出会い、このアパートに住み着くまで、

彼が東京で暮らしていたのは知っていました。

サダの言葉で、車のナンバーで。

しかし、どういう理由で東京を離れたのか、

あなたという恋人の存在までは言わずじまいでした。

それはそうと、あなたはどうやって、ここを探し当てたのですか?

少、怪しんだように、トムはゆりの顔を眺めた。

もう一度出直してきます。

ゆりは言葉を濁した。

トムさんが、彼は陽が暮れるまでには戻ってくると仰ったので、

その時にもう一度、伺います

ゆりは定村の愛車から離れ、唐人ハウスを後にした。

よくもタクシーが入れたものだと感心して、路地を出ると、

ゆりはそれまで想いもつかなかった行動に出た。

薄いピンクに小さな花模様のナップザックの中に二つ折りにした女性雑誌を取り出した。

京都までの新幹線の中でグリーン車の座席で読み返した定村についてのレポートの徒然に、雑誌に取り上げられた、

京都で美術商を営む谷山明の住居兼事務所へ向かうべく、

通りで、ゆりはタクシーを止めた。

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