街場の中国論

昨日今日と内田樹さんの街場の中国論を読んだ。2日で一気に読んでしまうくらいおもしろかった。最近内田樹さんはよく読むのだが、その中で内田さんの中国論も本当に鋭かった。住んでもないのに、しかも専門でもないのに、よくこんなに本質的なことが分かるのかと感服する。

この著作の中でなんといっても一番私にとっておもしろかったのが、内田さん流中華思想の解釈である。日本の場合は、均質的な共同体がのっぺりと広がっているというイメージですが、中華思想の場合は、中心から周縁に向かってゆるやかなグラデーションがあり、どこで終わるかはっきりしない。

これは本当に本質を言い当てていると思う。

だから中国人ははっきりと線を引くことを嫌う。確かにそのとおりだ。ご飯を一緒に食べに行けばどんぶりでみんなで箸をつつきあう。友人との身体的距離感も近い。なにかプライベートみたいな感じで線を引くことを嫌がる感じがある。これはおもしろい。

その中で指摘しておくべきことは、内田さんは2000年以上続いた中国がボスから、明治維新以降アメリカがボスに変わったという。そして2000年来中国をボスにしてやってきて日本にはおおむね利益しかなかったのに、アメリカをボスにした途端日本は災難続きだと内田さんは言う笑でも私にはそれは分かる気がする。現に明治維新以降、戦争ばかりか、もしくは隣国との緊張状態ばかりではないか。

また中国の他国との関係の取り方に対する内田さんの指摘もおもしろい。歴史的に長く続いた朝貢貿易は、周辺諸国が中国に貢物をする。しかしそれに対する中国の応対は貢物よりもはるかに価値が高いものであったという。しかも中国がボスですよと中国の面子を立てれば周辺諸国は勝手に自分のことをやってもいいということであった。

確かに中国に住んでいると、彼ら中国人は他人に強いることはやらない。おおらかである。

そしてそのような長者としての誇りを体現したものに、1970年代の周恩来による、賠償金放棄があると内田さんは言う。翻って例えば日本が戦争による賠償金の放棄ということを選択できるかどうか。内田さんは日本には絶対にできないだろうという。私も思う。また、内田さんの父は第二次世界大戦敗戦の日を中国で迎えたという。中国で日本兵は暴虐の限りを尽くしたのだからなぶり殺しにされると内田さんの父は覚悟したという。しかしそれから引き上げるまで1年余り、中国人はもう終わったことでお互い苦しいことだったからと、内田さんの父に食料を与えてくれて家をあてがってくれて、本当に親切にしたという。それから内田さんの父は中国人に恩返しするために、毎年のように中国に行って中国のために恩返しし続けたという。また、第二次世界大戦後、中国各地で戦争孤児を中国人の方は育ててくれた。翻って日本人はできるだろうか。私はできないと思う。

内田さんはもちろん中国に対する疑問も本書で書いている。当然日本人には日本人の優れたところがある。それでも今回、というか毎回かなり中国寄りにブログを書いている理由がある。

それは、日本の報道や書店に並んでいる中国関連の書籍を見るに、なにか日中関係を悪くすることによってだれかが膨大な利益を得ているのではないかとしか思えないほど、日中関係を悪くする方向に公的機関のバイアスが偏っているからである。これでは中国は反日教育をしているなどと文句を言えないだろう。同じことをしていて相手の文句を言うことは、どう考えても民度は低いだろう。

だから私は中国に住んでいて中国人の素晴らしさを感じたから、ちょっと大げさくらいに中国の良いところを描きたいのだ。

このブログで今回書きたかったことは、いいかげん日本人は民度が高いみたいな根拠のない優越意識で隣国を批判するのはやめませんか、ということである。

中国人の反日運動もすごいじゃないかという方もいるだろう。しかし少なくとも私は北京に2年以上住んでいて一度も反日的なことでいやな目にあったことはない。一度もである。

逆に日本国内のことを考えてみる。

私の身の回りの日本人が中国人に対して根拠のない罵声を浴びせるのも見たことがない。日本人の普通の方も本当に親切なのだ。

ではネット空間や報道や週刊誌、書籍で飛び交っている反中、もしくは中国国内のネット空間の反日は何なのだろうか。

それを鵜呑みにするのではなく、そこになんらかの意図や理由や感情があると疑うことは、少なくとも一人の市民としてすべきではないだろうか。